赤毛のアンとロマン ロラン



赤毛のアンの作者モンゴメリーとロマン ロランは接点はなく文通した事もないようです。第一次世界大戦でロマン ロランには4冊に及ぶ膨大な日記があります。「アンの娘リラ」にも第一次世界大戦がでてきます。ともに戦争に対する気持ちが さまざまな方面から描かれています。戦争について考えさせられます。

そもそもは 母がNHKのラジオ朗読で赤毛のアンを聞いたことから始まります。92歳の母は市原悦子さんの朗読に魅せられ聞いていました。どこまで?とたずねるとアンが結婚を決意するまでと言っておりました。その後は?と思い家に新潮文庫の4巻から10巻まであったので母が読み私も読んでみる事にしました。テレビの朝のドラマで「花子とアン」をやっておりましたので丁度良い機会でした。読んだつもりでしたがほとんど覚えておらず、「アンの思い出の日々」(孫の村岡美枝さんの翻訳です)を読んでから「アンの娘リラ」を読みました。カナダ人から見た第一次世界大戦です。

リラは戦争が終わるまでの日々を日記にかいている部分があります。実に戦争に対する若い青年、女性、親、お手伝いの女性 近所のひと達、老人、子どもを含めて さまざまな視点から描かれています。戦争に嬉々として向かう長男、戦争を嫌いでも行かざる負えなかった次男、若者を送り出す恋人たち、親の苦しみなど。息子の死、行方不明 、戦傷など。1918年10月6日「ドイツとオーストリアが講和をもとめています」とでてきます。

 ロマン ロランの「戦時の日記」には日付とともに さまざまな国の人々の手紙に書かれています。ドイツ人の母親の苦しみの手紙もあり、行方不明の息子を探してほしいというフランス人の手紙やロマン ロランへの非難の文書、ロマン ロランの信仰への非難など。また バルカン半島での虐殺など。「戦時をこえて」という論文も多くのひとに読まれました。ちょうどアン息子のウオルターの詩のように。
ロマン ロランはジュネーブの捕虜事務局におり膨大な手紙の量のやりとりがみられます。
しかしカナダに言及しているところはほとんどなく
  「フランス系カナダ人のある連隊の美わしい標語。
    おごれる者には力もてむかい、弱き者には憐れみを。」
 とでているくらいです。(戦時の日記T巻148ページ)
戦争の経過についてはこのなかではあまり詳細ではありません。むしろ ロシア革命のほうもレーニンやらトロッキーやその他の人々が出ています。当初は社会主義に希望を持っていたと思われるロマン ロランも独裁者という表現とともにロシアの混迷に当惑している様子が伺われます。

「アンの娘リラ」のほうが戦争の経過がかえってわかりやすく要所要所に書かれています。幼い男の子が船(ルシタニア号)が沈められたくさんの子供が死に心痛めるという場面もあります。1918年10月6日「ドイツとオーストリアが講和をもとめています」とでてきます。


また村岡 花子の「アンの娘リラ」のあとがきに以下のような文があります。

「平和な島のしずかな町で、喜びも悲しみもその町だけで終わっていた母のおとめ時代とはまったくちがった青春の中で、リラは、小さな胸に、遠い外国の海や陸に戦う同胞のことを思って鼓動を高めているのです。

戦争は悲しいもの、いとわしいものと、だれしも思っていますが、外国人がどういう感じ方で戦争の中をいきぬいているかということ、その内部を、この物語は、わたしたちの前に展開しています。
ことに、戦争の中のわかい女性の気持ち、それが、ごく素朴に、しぜんに出ています。
しかも、その中に、著者モンゴメリーの戦争に対するいきどおりや平和を愛する熱情を、わたしたちは読みとりたいのです。

 とにかく戦争というと、そのうずの中にまきこまれている自分のことに考えが集中しがちですが、それに関係している他の国々の人々のことも思ってみることが必要です。つまり、戦争は味方にも敵にも、おしなべて、大きな悲しみをもたらすものなのです。」
    (講談社 モンゴメリー、ルーシー、モード 赤毛のアンシリーズ 8
村岡 花子 訳 *この中には挿絵があり ヨーロッパの地図も出ています)

「アンの思い出の日々」には アンとウオルターの書いた詩が出てきてそれに対する家族たちの感想も出てきます。当初の出版では詩や感想ははぶかれ、第2次世界大戦前の1942年に書かれた事が影響しているのではと カナダのエリザベス ロリンズ エバリー村岡美枝は述べています。「アンの思い出の日々」には戦争を正当化する論理に疑問がこめられている。と出ています。1974年のカナダの当初の出版社、編者は戦争部分を排除したようです。(「アンの思い出の日々」あとがき村岡美枝)

そして
「笛吹き」という詩 そして「余波」モンゴメリーの気持ちが描かれています。
第一部が第一次大戦前、第二部が第二次大戦勃発までとしていたそうです。

「笛吹き」
  ある日 笛吹きがグレンの町へやってきた
  甘く低い音色で 彼はいつまでも吹き続け
  愛する者たちにどんなに請い願われ 引きとめられようとも
  子どもたちはぞろぞろと 家から家へとついてゆく
  彼の奏でる旋律は
  森の小川の調べのように 限りなく妖しい

  いつの日か 笛吹きはまたやってくる
  楓の国の息子たちに その旋律をきかせるために
  君もぼくも 家から家へとついてゆき
  ほとんどの者が 二度と再び帰らない
  かまうものか
  自由が 故郷の丘に栄冠として掲げられるならば

「余波」
  今や年老いた我々も かっては若かった・・・・
  美しい空の下 熱き心で闘った
  沸き滾る血潮に 小心者は無頼の者と化し
  死を怖れる者は ひとりもいない
  忌まわしい喜びに 酔いしれて
  地獄に解き放たれた 悪魔のごとく どよめき笑う

  そして 東の空に 紅い月が昇る時
  私は ひとりの若者を殺した!
        「アンの思い出の日々」村岡美枝訳

      以下省略します。辛い詩です。
          

こうして見ると モンゴメリーの著作も、より心に迫るものがあります。

日本人の場合 自分の意思より 赤紙が来て行かされた人が多かったようで、
 喜んで戦争に行った人は少ないと思います。母の義弟たちもそうでした。戦後に南の島で死亡した義弟もいました。
「アン  」では喜んで戦争に行きたくなかったのは アンの次男ウオルターだけでした。

一方ロマン ロランの、「戦時の日記」4巻ではルシタニア号撃沈(イギリス商船をドイツが撃沈し多くの民間人が死亡した)を非難しれたドイツ人の医学教授の話が出てきました。戦争の終わる休戦の10月5日の記載もあります。その前には日本人との2週間に及ぶ戦争に対する会話もありました。その 成瀬 正一氏は義務兵役と言っています。戦時より休戦後の交渉がいかに大変か出てきます。

今 外国では 国というより宗教、民族のために 「忌まわしい喜びに 酔いしれて地獄に解き放たれた 悪魔のごとく」殺しを重ねる人々がいます。
第一次世界大戦は 兵器 化学兵器 航空機など大きく戦争が変化した とありました。第二次世界大戦 そして、今の過激派には目を覆いたくなります。女性にたいしても恐るべき蔑視の気持ちを抱いています。人類はどうなって行くのでしょうか?
 フランス人というより 世界人、である ロマン ロランも今の状況をどう思うでしょうか?
私たちに何が出来るかと考えます。